以下、気になった本。
『オックスフォード哲学者奇行』児玉聡著
奇行というからには、変わった哲学者のことが書かれているのであろう。
確かに「哲学者」というだけで、気難しい人あるいは面倒な人という印象を
私は受ける。
「哲学」という概念がそもそも私には曖昧でもあり、書かれている内容は難解で
今まで興味がありながらなかなか手を出していなかった類の本である。
哲学者自体に関心を持てれば、これから手にとりやすいかなと思う。
「今を読み解く/簡略化 葬式の行方は/東京大学名誉教授 島薗進」より
『葬式消滅–お墓も戒名もいらない』島田裕巳著
『論語と冠婚葬祭』加地伸行・一条真也著
『無縁社会の葬儀と墓–死者との過去・現在・未来』山田慎也・土居浩編集
『先祖祭祀と墓制の近代–創られた国民的習俗』問芝志保著
『葬儀!』ジュリエット・カズ著
私の場合は、田舎の祖母の昔ながらの葬式と数年前に亡くした父の葬式を経験
している。父の葬式では、生前に自身が積み立てをしていたのでそこからお金は
捻出はしたのだが、葬儀屋が来たときにいろいろオプションのことを聞かされ、
そうした方がいいのかなという感じで、あれよあれよで結局100万円を
超えて積立以上の金額になってしまった。家族葬なのだが・・・。
後で考えるとオプションいらなかったなあと家族で話した。でも亡骸をきれいに
整えてくれたことには感謝している。(映画「おくりびと」を思い出した。)
清潔な父だったので満足してくれたのではと思っている。
墓に関しては、父本人が生前田舎に用意してあったが、祖母も亡くなり帰省
する必要もなく遠方なので墓じまいをし、祖母と父のお骨は近くの市営墓地に
埋葬している。そういえば、私が幼いころ祖母の家から先祖の墓参りをした時、
寺にある先祖の墓とは別に、土葬しているという墓地にもお参りしていた。
墓石はなく少し大きめの石が置かれていて名前がないので、今行ってもわからない。
そこは今後どうなっていくんだろう・・・。
義父母の方は今後のことを考えて(祖先の墓が既に数基ある)、墓標を建て今後は
自身を含めその下にお骨は埋葬し新しい墓は建てないことにしたようだ。
それぞれ葬式の形態や墓のあり方が変わっている。
母は家族葬でよいと言っている。葬儀屋も家族葬プランを全面に押し出している。
今後の葬式簡略化は避けられないのではないだろうか。でも身近な人が区切りを
つけるという点では簡単でも葬儀は必要かなと私自身は思っている。